スピルバーグの新作映画

 昨年末にアメリカの一部地域で公開が始まったスティーブン・スピルバーグ監督の新作「ミュンヘン」の日本公開時期が決まった。それに伴ってTVでもCMが始まっている。
 年末年始の休暇中に見たが、断片的な映像の組み合わせだが暗く陰惨なストーリーを暗示している内容だった。
 原作となった「標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録(原題:VENGENS)」はその筋のマニアには有名な実話を基にした小説で私も15年以上前に友人から薦められて読んだ。
 概要は1972年9月5日にオリンピック開催中の旧西ドイツの地方都市ミュンヘンで起きたテロ事件(後に「ミュンヘン事件」といわれる)の報復にイスラエルの諜報組織が暗躍すると言った内容です。


 もう少し詳細を書くと、ミュンヘンのオリンピック選手村に「黒い9月」と名乗る武装したパレスチナ・ゲリラの一団が侵入する。彼らはイスラエル代表選手11人を人質にとり、イスラエルの刑務所に囚われたパレスチナ人の釈放を求めるがイスラエル首相はこれを断固として拒否し旧西ドイツ政府に事件解決を要請した。この時点で既に2人を殺害されている。
 犯人達は旧西ドイツ政府と交渉して旅客機を用意させたが、これは囮でドイツ側は軍用空港の滑走路で犯人たちを狙撃する作戦を実行するが失敗した。*1
 犯人側は銃撃戦の末に人質9人を手榴弾とライフルで皆殺しにした。また、犯人側は8名のうち5名が射殺され、残りの3名は逃走を図るが逮捕された。
 この事件は表面上は解決したように見られたが発端に過ぎず、報復のためにイスラエル政府は殺された人質11人と同じ数のパレスチナの指導者を暗殺する計画を立て、諜報組織モサドの5人が暗殺者として派遣された。


 ターゲットの11人は西ヨーロッパの都市に住むパレスチナ人指導者で「黒い9月」を指揮した人物は数人しか含まれていなかったらしいからこの一件は根が深くなる。何の関係も無い一般人がある日突然理由も無く殺される、つまり「黒い9月」がオリンピック村で起こした事を暗殺チームは繰り返していることになる。
 皮肉なことに本来彼ら暗殺チームが狙うべき「黒い9月」のメンバーは、1977年10月13日に発生したルフトハンザ機ハイジャックの交渉材料に取り上げられて開放されている。


 私がこの世に生まれたのは1972年8月とミュンヘン事件の起きる少し前となるが、事件を知ったのはそれから十数年後と既に過去となった時点だった。約34年前に起きた事件をなぜスピルバーグが作品にしたいのか真意は判らないが、テロリズムとその報復は今日も解決できない問題でそれに一石を投じてみたいのかもしれません。

*1:この失敗を契機に旧西ドイツ政府は対テロ特殊部隊の国境警備隊第9グループ(GSG-9)を創設